生成AI
GRSを立ち上げたときには、このような時代になるとは思いもしなかった。泥臭く人手で公的データを集めて、自分達のリサーチクエスチョンを構築して、データ解析し、科学的なエビデンスを得て論理的に結論を導く。時には数百ページに上る報告書を読んで、データを拾っていったり。その成果を、研究論文として投稿し、アカデミアや関係各位からの批判を受けて、さらに研究をブラッシュアップしていく。これが私ができるレギュラトリーサイエンス研究だと考えて、実施してきました。
ここ数年の生成AIの進歩は、このような研究スタイルを劇的に変えつつあります。データ収集、整理、解析は生成AIに投げればある程度のものがアウトプットされる。それも僅かな時間で。そりゃぁ、便利なツールだから、皆さん使っているでしょう。もちろん、絶対の精度が欠けているので、検証は必須。検証していると、結局、全て自分の手を動かして確認しながらデータ収集した方が早かったりもします。とは言え、アイデア出しの「壁打ち」、英文のドラフト作成には、もはや欠かせないツールとなってきているのも事実。
このように、我々の研究領域と生成AIの相性は比較的良い。しかし、コレが大きな問題。類似のアイデアの研究が世界各地で同時タイミング的に実施され、論文投稿される。今まで以上に投稿数が多くなる。査読依頼はほぼ毎日。通常業務もあるうえ、今は卒論の時期。面白そうな論文ならともかく、似たような研究アプローチで場所を変えただけ、時間軸を変えただけと言うような論文は、とても読んでいられない。査読を生成AIに丸投げできるなら良いですが、それはモラルとしてご法度。と言うことで、査読依頼の多くを断る結果に。
この研究領域でアカデミアに席を置く研究者は、みな同じ状況なんでしょうね。GRSから投稿している論文は既に10ヵ月動きません。
私が学位取得を目指して論文を書いていたころは、原稿を国際郵便で送ってそれを査読してもらうやり取り。1報出すのに1年は普通でした。少し前までは投稿から初回査読結果が出るまでが1ヵ月程度という雑誌が多かったように思いますが、今は上記の状況。どうなっていくのでしょうか?
生成AIは人々の暮らしを豊かにするものと思っていましたが、昨今のデータ流出、為替や株価の異常変動、電気エネルギーの過剰消費と、負の側面が多く出てきています。やはり、国際的に適切に「規制」することが必要なのでしょう。そう、エビデンスに基づいて。まさに生成AIにもレギュラトリーサイエンスの概念が必要だと思いますが、皆さんはいかが思われますか?
秋晴れの夕暮れ、池田山に沈む夕日をラボから望む

