岐阜薬科大学の原英彰教授(薬効解析学 現学長)らの研究チームは、名古屋市立大学との共同研究により、アルツハイマー病における「認知レジリエンス(脳の踏ん張る力)」の鍵を握る分子メカニズムを解明しました。本研究では、脳内ペプチド『HCNP』が減少することで、アミロイドβの蓄積量や炎症に変化がなくても、記憶障害が早期に顕在化することを世界で初めて実証しました。この成果は、現在主流となっているアミロイド除去薬とは異なる、「神経機能を直接活性化させる」という新たな視点に基づいた創薬研究を加速させる画期的な発見です。
本研究成果は、国際的な学術誌「Alzheimer&Dementia; The Journal of the Alzheimer's Association」に2026年6月3日に掲載されました。
【研究成果概要】
我が国の65歳以上認知症患者は400万人を超え、全ての高齢者が罹患する可能性のある疾患状態である。一方、先進国においては社会参加の頻度が上昇するなど高齢者の生活の質の変化や高血圧など脳血管障害リスク管理が改善したことにより認知症有病率は減少に転じた。我が国でもいくつかの疫学調査により有病率は減少に転じているものの、これを上回る勢いで高齢者人口が上昇するために認知症患者数は未だ増加を続けている。更に、フィンランドで実施された介入研究では、有酸素運動、認知訓練や脳血管リスク管理が認知症発症を抑制することが報告されてきた(Ngandu, Lancet 2015, FINGER study)。我が国においても、同様な結果が確認された(Sakurai, Alzheimer & Dementia 2023, J-MINT study)。このような認知機能の悪化を抑止する状態を"認知機能のレジリエンス"と表現されているが、その分子メカニズムは明らかにされていない。
認知症の原因の約6割はアルツハイマー病である。アミロイドβ(Aβ)と異常リン酸化を受けたタウ蛋白の蓄積による神経細胞死が主病態と考えられている(アミロイド仮説)。近年Aβを対象とした疾患修飾薬が上市されたが、その臨床的効果は十分とは言えない。更なる認知機能改善のためには、タウ蛋白など他の病理変化を減少させる必要があるのか、神経機能を改善させる異なる視点が必要なのか議論が残る。確かに、古くからアルツハイマー病理を有しても認知機能を維持する症例の存在も知られ(認知予備能)、病理変化とは異なる視点から症状の改善を議論する必要性が示唆される。
名古屋市立大学大学院医学研究科神経内科学では、記憶に関わる内側中隔核―海馬コリン作動性神経の神経活動に着目して研究を進めてきた。特に研究室(小鹿幸生名誉教授)で発見した海馬由来コリン作動性神経刺激ペプチド(Hippocampal cholinergic neurostimulating peptide; HCNP)の視点から研究を継続している。今回、松川則之教授(神経内科学)津田曜大学院生(神経内科学)ら研究チームは、岐阜薬科大学原英彰教授(薬効解析学;現岐阜薬科大学長)と共同して、アルツハイマー病モデルマウスの認知機能障害へのHCNPの関わりを明らかにした。
本研究により新たに発見された知見として、i)HCNP減少は、より早期からアルツハイマー病モデルマウスの認知機能障害を顕在化させること、ii)その生理学的メカニズムは中隔核―海馬コリン作動性神経機能低下を介し、海馬グルタミン酸作動性神経活動抑制によること、iii) コリン作動性神経低下は生化学的にも確認されること、iv)海馬内シナプス数、アミロイド病理やそれに伴う炎症変化に明らかな変化は確認されないことを明らかにした。これらの結果はAβ病理による海馬グルタミン酸作動性神経活動低下状況において、コリン作動性神経を始めとした調節系神経活動が、病理変化を介さずに認知機能に影響することを示した。この神経活性化メカニズムは"認知レジリエンス"や"認知予備能"に関与する可能性も期待される。認知症患者の症状改善、維持のためには疾患修飾薬開発ばかりでなく、神経機能の視点から更なる分子メカニズムの解明が必要であることを、米国科学誌「Alzheimer&Dementia; The Journal of the Alzheimer's Association」に報告した。
本件に関しましては、大学ジャーナルオンラインに掲載されました。
