概要
ルテニウム炭素(Ru/C)触媒を用いた連続フロー法により、糖類の位置・立体選択的重水素化(H-D交換)を実現した。触媒カートリッジ内の空隙率を高めることで、反応効率が大幅に向上し、150 時間以上の連続運転でも高い選択性と触媒活性を保持した。本手法はスケールアップが容易で、エネルギー・Ru使用量の削減に寄与する持続可能な重水素標識糖の合成プロセスである。
研究の背景
重水素標識化合物は、NMR 分析、薬物動態評価、環境トレーサーなど、多岐にわたる分野で不可欠である。特に糖類は生体関連分子の重要な構成要素であり、重水素代謝イメージング(DMI)に用いられる中核材料として注目されている。重水素は水素の安定同位体で質量数が 2 倍あるため、強い一次同位体効果を示し、反応速度や分解経路の解析にも利用できる。さらに、D核は²H NMRや質量分析で高感度に検出できるため、微量分析のサロゲートとして優れる。近年は重水素標識生体成分・医薬品を用いた D MRI可視化や中性子散乱による精密構造解析が進展し、診断と治療を同時に行うセラノスティクスへの応用も活発である。たとえば、重水素標識グルコースを投与してワールブルク効果を利用し、脳腫瘍を非侵襲的に描出する試みが報告されている。
既存の糖類重水素標識法(酵素法、LiAlD₄/NaBD₄還元、Raney Ni触媒 H-D交換など)は、コスト・時間・副生成物の多さ、あるいは導入率の低さが課題である。さらに、厳しい反応条件は糖の加水分解やラセミ化を招きやすい。
当研究室では、重水(D2O)中水素ガス雰囲気下、不均一系白金族触媒的に進行する有機分子の簡便な重水素標識法を開発してきた(H. Sajiki, et al. Synlett 2012, 23, 959.)。その中で、Ru/Cによる糖類の位置・立体選択的重水素標識法を報告しているが(Sajiki, H. et al. Chem. Eur. J. 2012, 18, 16436-16442.)、H-D交換反応の進行に伴い生成するDHOと基質の間でH-HもしくはD-H交換反応も併発するため、長時間反応では重水素化率が低下する傾向が認められた。この問題はフロー法の適応により、重水素標識化合物(生成物)を直ちに系外に排出して触媒との接触時間を短縮すれば回避できると考えた。
連続フロー法は (i) 触媒反応効率の向上、(ii) 反応パラメータの精密制御、(iii) 生成物の即時排出による副反応抑制という利点を併せ持つ。近年、フロー式重水素標識法が報告されているが、糖類に関しては未開拓であった。連続フローによるスケールアップが実現すれば、重水素標識糖の安定供給が可能となり、D MRI用トレーサーやセラノスティクス研究の加速に直結すると期待される。
研究のポイント
- カートリッジ内の空隙率を高めることと水素ガスによりRu/Cを動的に高分散させ、重水素化効率を劇的に改善。
- 水酸基α位炭素のみで「立体保持したまま重水素化率90 %以上」を150時間連続で達成。
- Ru溶出 < 1.5 ppb、エネルギー・貴金属使用量の削減によりグリーンかつスケーラブル。
成果の意義
・持続可能な同位体ラベリングプロセスを実証
Ru 使用量・溶媒量・エネルギー消費を大幅に削減し、従来バッチ法よりも低環境負荷で重水素標識糖を製造可能。
・スケールアップと連続生産への展開
150 時間超の安定運転を確認しており、医薬品原薬や診断用試薬の g〜kg スケール連続製造ラインへ直接応用できる。
・デューテリウム・メタボリック・イメージング(DMI)の加速
高純度の重水素標識糖を比較的安価・迅速に供給できるため、腫瘍診断や肝代謝研究における DMI の臨床・基礎利用を後押し。
・創薬における同位体効果の活用
糖部分構造を含む医薬候補化合物へ高選択的に D 導入できるため、代謝安定化による薬効持続性向上や投与量削減を実現する足掛かりとなる。
・触媒科学への波及
「高空隙率による触媒微分散」という設計指針は、他の H-D 交換系や連続フロー水素化・脱水素反応にも適用可能で、触媒充填カートリッジ設計の新たなスタンダードとなり得る。
論文情報
- 雑誌名: Reaction Chemistry & Engineering
- 論文タイトル: Development of Site and Stereoselective Continuous Fow Deuterium Labelling Method for Carbohydrates Using High Dispersion Effect Towards Ru/C of Hydrogen Flow
- 著者: Naoya Sakurada, Daiki Sasaki, Manato Ono, Tsuyoshi Yamada, Takashi Ikawa, Hironao Sajiki
- DOI: 10.1039/D5RE00026B
- 掲載日: 2025 年 3 月 11 日オンライン公開 RSC出版
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