沿革

昭和 7年 4月全国初の市立の岐阜薬学専門学校として創立
昭和 24年 3月 学制改革により岐阜薬科大学として新たに発足
昭和 28年 4月 大学院修士課程を設置
昭和 40年 4月 大学院博士課程を設置
昭和 40年 10月 キャンパスの移転と拡充(現三田洞キャンパス)
昭和 52年 8月 乗鞍山麓に薬草栽培のための子の原川島記念演習園を開設
昭和 57年 10月 創立50周年を記念して、教育研究総合センターを建設
平成 2年 10月 市制100年記念事業として、生物薬学研究所を建設、バイオテクノロジ一部門を強化
平成 9年 3月 村山記念情報教育センターを開設
平成 10年 9月 附属薬局を開局(岐阜市司町)
平成 11年 3月 薬草園管理舎を新築
平成 16年 6月 附属薬局を移転(岐阜市大学西1丁目)
平成 18年 4月

薬学教育6年制に伴い、学部を薬学科(6年制)と薬科学科(4年制)の2学科に改組

平成 20年 4月

岐阜大学と連携し「岐阜大学大学院連合創薬医療情報研究科」を設置

平成 22年 4月

新学舎(岐阜市大学西1丁目)に本部を移転(現本部キャンパス)
平成 24年 4月 大学院博士課程(4年制)を設置
平成 24年 9月 創立80周年記念事業を実施
平成 26年 1月 博士(薬学)とMBA(経営管理修士)のダブルディグリー取得を目指すプログラムを中京大学と提携
平成 29年 4月 薬科学科(4年制)の学生募集を停止し、薬学科(6年制)1学科とする
平成 29年 12月 モバイルファーマシーの導入
令和 元年 3月 本部キャンパス南側近隣地にキャンパスを統合することを決定

岐阜薬科大学(前:岐阜薬学専門学校)の創立

昭和7年 岐阜市九重町ここのえちょうに学舎設置

奈良時代に成立した歴史書「日本書紀」には、天武天皇が美濃国で薬を作らせたという記述があり、このことから岐阜が日本の「製薬発祥の地」と言われています。このような岐阜の地で、岐阜薬科大学の歴史は、昭和7 4 月、前身である岐阜薬学専門学校の創立に始まります。当時、世界は大恐慌の真っ只中にあり、日本も深刻な不況に陥っていました。このような状況下、当時の松尾国松岐阜市長は「産業上直接利用し得る実業教育機関」の設置を強く望み、教育振興を企図しました。松尾市長は、特に国民の保健衛生および化学工業界の発展に寄与しうる学問として薬学に着目し、地元の素封家であった渡辺甚吉氏の全額寄付を受けて岐阜薬学専門学校を設立しました。これは、市立の薬学校として全国に先駆けた取組でした。最初の校舎は岐阜市九重町3丁目に設けられ、激動の昭和初期に我が国の医療人材育成の一翼を担いました。

昭和7年九重学舎

昭和7年 九重学舎

歴史と伝統ある岐阜薬科大学

昭和初期にかけて、日本全体が文化的にまた科学立国として発展するためには、自然科学をはじめ人文科学、社会科学を発展させるという機運が高まってきました。岐阜薬科大学は、日本の薬学の振興を進め、学術の中心として広く知識を広め、深く薬学に関する学理と技術を教育研究し、知的道徳的に優れ、また応用能力のある人材を養成することを目的として設立されました。また、人々への衛生に関する知識の普及に努め、社会福祉を推進し、医薬品の生産と開発を行うことにより、人々への健康福祉に貢献し、日本の国際的地位を高めることを使命としてきました。

そのような理念のもと、昭和6年、医薬、化学の知識を広め、併せて県内の資源を開発し、国民保健衛生の普及向上と化学工業の発展に寄与するため、当時の市長松尾国松氏の発議により市議会において本学設立の議決されました。昭和7年4月に、岐阜薬科大学の前身である岐阜薬学専門学校が、市立として全国に先駆け岐阜市九重町3丁目に創立されました。以来順調な発展をたどり、昭和24年3月学制改革に伴い岐阜薬科大学として新しく発足し、昭和28年4月には大学院(修士課程)を、さらに昭和40年4月には博士課程を設置しました。

さらに、めざましい科学の進展に即応し、研究、教育の発展に寄与するため、昭和39年7月に規模を倍増した近代的な学舎の新築に着工し、昭和40年9月には、三田洞(現在、三田洞キャンパス)に移転し、名実共に薬学教育の殿堂となりました。昭和52年8月に乗鞍山麓子ノ原高原の一部(33,912平方米)を篤志家からの寄附を受け、寒冷地系薬草栽培の研究のための子ノ原川島記念演習園を開設しました。以来、本学附属薬草園と共に多くの薬草が育てられ、教育及び研究に寄与しています。昭和57年9月、本学創立50周年を記念して教育研究総合センターを建設し、昭和58年度から大学院に医療薬学コースを開設しました。

学生の心身の健康と体力の向上をめざし、平成元年3月トレーニングルームを併設した鳳川会館(体育館)を建設し、さらに、平成2年10月、薬学教育の将来を見通し、バイオテクノロジーに係る基礎研究並びに応用研究を推進するための生物薬学研究所を設立しました。本研究所では本学学生の教育はもちろん企業等からの研究生受入れを行い、先端技術産業、医・薬関連企業等の試験、研究、開発部門等において常にリーダーとして、21世紀を担いうる人材育成を行ってきました。

また、国際会議や共同研究に関する海外との交流も盛んで、昭和57年10月中国薬科大学と姉妹校の盟約が結ばれてから、浙江大学(中国)、フィレンツェ大学(イタリア)、シンシナティ大学(アメリカ)、 フロリダ大学(アメリカ)、瀋陽薬科大学(中国)、サラマンカ大学(スペイン)、カンピナース大学(ブラジル)、シラパコーン大学(タイ)など次々と学術交流を行い国際化を強化してきました。

さらに医薬分業が進むなか、質の高い薬剤師の養成を目指し、学生の実務研修の場とするほか、リカレント教育の場として利用するため、全国の薬学部・薬科大学に先駆けて平成10年9月に附属薬局を開局しました。平成16年には岐阜大学医学部附属病院の柳戸地区への移転に伴い、附属薬局も同地区に移設しました。平成18年度からは、新しい教育制度の改革に伴い、薬学科(6年制)と薬科学科(4年制)を併設し、本学における教育・研究・地域貢献の基礎となる薬学は「グリーンファーマシー」として更なる発展を続けています。さらに、平成18年から附属薬局内に育薬研究センターを設置し、新しい薬学教育・研究の拠点としました。また、平成18年3月に岐阜大学との連携に関する協定書を締結し、平成19年4月より連合大学院岐阜大学大学院連合創薬医療情報研究科並びに岐阜先端創薬研究センターが設立され、岐阜大学との連携強化が図られました。

平成22年2月に、岐阜市大学西に新学舎が完成、研究室及び本部の移転が完了し、同年4月から4年生以上の学部生、大学院生、そして教職員の約7割が新学舎で教育・研究を開始しました。平成23年4月から独立行政法人医薬品・医療機器総合機構(英文表記ではPharmaceuticals and Medical Devices Agency、その頭文字をとってPMDAと略される)と連携大学院をスタートし、医薬品・医療機器等の許認可、安全性確保に関する専門分野の即戦力となる人材育成に取り組みました。また、本学同窓生である村山元氏 (専門2回)のご厚志による寄附金を原資として、平成23年度から 「村山記念奨学金」及び「村山記念国際交流奨学金」 がスタートし、返還不要の学費支援や学部生、大学院生の海外研修の支援が行われています。平成24年4月から大学院博士課程(4年制)が設置され、同年9月には創立80周年記念式典が盛大に挙行されました。平成26年1月博士(薬学)とMBA(経営学修士)のダブルディグリー取得を目指すプログラムが中京大学と提携されました。
平成29年度入学生から、全国の国公立の薬学系大学(17大学)に先駆け、薬科学科(定員40名)が廃止され、すべての学生が薬剤師の国家試験を受験することができる薬学科(定員80名を120名に増員)に統一されました。さらに、岐阜県、岐阜市からの助成金及びウエルシア薬局(株)、名古屋競馬(株)等からの寄附金を得てモバイルファーマシー(災害対策医薬品供給車両)を整備し、災害時に適切に対応できる薬剤師の育成を図っております。
令和元年3月には、三田洞キャンパスと本部キャンパスを統合する新学舎を「本部キャンパスの南側に整備する。」ことが決定されるとともに、東海国立大学機構 岐阜大学と強力な連携・連合体制を組み、キャンパス周辺には製薬会社などの研究施設を誘致し、ライフサイエンス拠点の整備を図り、地域に生き、世界に羽ばたく大学としてさらに一層発展し続けていくこととしております。

本学卒業生及び修了生は、創立以来、令和2年3月末(令和元年度末)現在では、延11,164名(薬専2,448名、大学8,716名、大学院修士課程1,627名、大学院博士課程210名、論文博士397名)を送り出し、学界ならびに薬業界、化学工業界等産業界を始め病院、衛生行政、薬局等保健衛生面に活躍し、各界から本学の真価は大いに認められ、今日に至っています。